伝統の米作りに挑むアミ族の女性を描く…感動作『太陽の子』が日本で上映に。
チェン・ヨウチェ監督単独インタビュー!

台湾東部の港口(がんこう)集落を舞台に、先住民族・アミ族の女性が、休耕地となっていた土地を再び耕し、伝統的な海稲米(かいとうまい)を復活させようとする姿を描いた映画「太陽の子」。開発を受け入れ経済的な発展を選ぶか、民族の伝統を守るか? 苦悩しながらも奮闘するヒロインのパナイが多くの共感を呼び、2015年の台北映画祭では、観客賞を受賞。劇場公開時にも大きな注目を集めた本作の上映会が、6月24日、7月3日に東京・台湾文化センターで開催された。今回の上映はジャーナリストの野嶋剛氏が、自ら上映権を取得して実現。台湾で本作を観て深く感動した野嶋氏の「この映画を埋もれさせてはいけない」という熱意が結実したものだ。この上映に合わせて。共同監督の一人であるチェン・ヨウチェ監督が来日。「一年之初(いちねんのはじめ)」、「ヤンヤン」などのヒット作を手がけてきたチェン監督が、本作に込めた想いや、製作のきっかけなどを話してくれた。
「いま、行動を起こさなければ先住民の文化や伝統が失われてしまう」
―― まず初めに製作の経緯を教えてください。
とても不思議な縁で、僕が台湾の東部を旅行しているときに、もう一人の監督のレカル・スミに出会ったんです。そこで彼が撮ったドキュメンタリー『海稲米的願望(原題)』を観せてもらいました。そのドキュメンタリーが『太陽の子』の基になったんです。30年も使っていなかった土地でお米を作った彼のお母さんの姿を、レカル監督が追ったものです。
―― チェン監督から、長編映画製作の提案をしたのですか?
そうです。僕はこのドキュメンタリーを観てすごく感動しました。レカル監督は映画を作った経験がなく、だれにも教わらずに、港口という台湾でも一番辺鄙な地方でたった一人で撮影をしたんです。編集の仕方も知らず、すべてインターネットで調べて作り上げたそうです。とても素朴で純粋ですごく美しい作品でした。作り物ではない、ありのままの感動が伝わってきました。僕は10年くらい映画を撮っていますが、僕が映画を撮りたいと思っていたころの気持ちがそこにありました。初心を思い出させてくれましたね。だから。ぜひ一緒にやりたいと思い、彼に持ち掛けました。彼も初めは戸惑っていましたが、彼も僕も先住民が代々受け継いできた土地を守りたい、いま、何かしないと彼らの伝統が失われてしまうから、自分たちでできることをしようという気持ちは同じなんです。それがきっかけで合作することになりました。実は、今回彼が来日出来なかったのは、新作を撮影しているからなんです。テレビ映画なのですが、新作のテーマは海です。先住民の若者たちを主人公にした青春映画で、レカルが監督、僕はプロデュースのお手伝いをしています。
―― 撮影中はレカル監督とどのように役割分担をしたのですか?
出演者のほとんどはレカル監督と同じ村の人なんです。彼らが実際にやってきたことをもう1回、再現してもらったようなものです。コミュニティが作る自主映画に僕が関わったような感じですね。そんなことが出来たのも、レカル監督が共同監督だったから。村人の演技指導はみんな彼に任せました。僕はストーリーの構成とか、カメラや照明などの技術的な部分、そして主役のパナイを演じたアドの演出を担当しました。
―― そのアド・カリティン・パシダルさんをヒロインのパナイ役に起用した理由は?
僕自身は彼女のことは知らなかったのですが、脚本を書いているときにアミ族の子守歌について調べたことがきっかけで、彼女を知りました。調べている時に出会ったある曲を聴いてとても感動したのですが、それを歌っていたのがアドだったんです。この子守唄は映画の中でも使っていますよ。そして、彼女のプロフィールは僕が考えていたパナイの経歴とそっくりだったんです。アドは歌手や司会者として活動していますが、すごいエリートで博士号も持っています。アカデミックな世界でもエンタテインメントの世界でも活躍している人だったんです。先住民で彼女を知らない人はいないくらい有名な人なんですよ。でも、僕たちのような先住民でない人たちはまったく彼女を知らない。それくらい、先住民とそれ以外では認識している世界は違う。同じ台湾でも違う台湾なんです。それもこの映画を撮るモチベーションになっています。アドに1回会って、この人だと決めました。実際、役柄については僕よりも深く理解していたのではないかと思います。パナイの人生はアドの人生そのものです。唯一の違いは、テレビ局の仕事を辞めて実家に戻ったパナイに対して、アドはいまもテレビ業界で活躍している点ですかね。
―― 先住民には独特の暮らしやカルチャーがあるんですね。
そうです。僕もある種、ショックを受けました。でも、だからこそ、こういう映画をもっともっと撮っていこうと思っています。先住民にとってはあたりまえのことを僕はまったく知らなかった。例えば歴史のことや、映画にも出てきましたが、土地の権利の問題とか。この映画を台湾で上映したときに面白いことがありました。ずっと都市部で育った人から『ここに描かれているようなことはあり得ない』と言われたんです。信じたくないという反応もありました。でも、地方では『私の家でもまさに同じことが起こっている』とたくさんの人が共感してくれた。いま、台湾のあちこちで、開発と伝統文化をめぐる問題が起きているんです。非常にまれなことではありますが、この映画がいちばん長く上映されていたのは台湾の東部にある台東と花蓮でした。普通、ロングラン公開は台北のどこかの映画館でになるのですが、この映画は地方で観客を集めたんです。僕たちはもっと都市の人たちに観てほしかったのですが(笑)。でも、現在、政権が代わったこともあり、先住民に関する問題に大きな注目が集まっています。
―― 撮影期間はどれくらいですか?
まさにドキュメンタリーのような撮り方で、土地を耕すところから稲刈りをするところまで、段階を追って少しずつ撮影しました。ずっと撮っていたわけではありませんが、全部で8カ月くらい撮影して、最後に集中的にドラマ部分を撮りました。映画の舞台になっている港口という場所でロケをしました。港口にはすでに荒地から復活した田んぼがあるのですが、ちょうど隣の村が港口にならって荒れていた土地を田んぼに復活させようとしていたので、荒地の部分は隣の村で撮影しました。このように先住民の人たちが一時止めていた耕作を再び始めるという動きは、台湾の各地で起こっています。
―― 長期間、港口で過ごして印象に残ったことはありますか?
そうですね、いろいろありますが、まず、港口では音楽が普通に生活の中にあるんです。お酒を飲むとすぐに誰かがギターを弾いて歌い出すのですが、それがとても自然で、すごく落ち着くんです。美術や音楽のアーティストも多く輩出しています。また、この村に移住してくるアーティストもたくさんいます。金曲賞(台湾版グラミー賞)を受賞したミュージシャンも多く暮しています。文化的にとても充実した場所なんです。もちろん、食べ物も美味しい! お腹がすいたら海に行って魚を獲ってきて食べるというシンプルな生活が新鮮でした(笑)
―― 『太陽の子』が日本で上映されるお気持ちは?
すごく感激しています。元々、型破りな映画ですが、今回、野嶋さんから上映したいと言われて驚きました。配給会社を介さず、個人が上映権を取得するという上映の仕方はいままで聞いたことがなかった。でも、従来のやりかたにこだわらないことにしました。こういう形で日本で上映できてうれしいです。そして、今回の上映をきっかけに『太陽の子』が劇場公開されてより多くのみなさんに観ていただけるようになることを、野嶋さんも僕も願っています。

『太陽の子』上映会のトークショーから、チェン監督のことばをご紹介!
6月24日、『太陽の子』上映会のトークショーに、今回の上映を実現させた野嶋剛氏とともに登壇したチェン・ヨウチェ監督。撮影を始める前にロケ地である港口の人々と時間をかけてコミュニケーションしたことや、自分の思い込みが先行しないよう、アミ族や港口をよく知るレカル・スミ監督とつねに話し合いながら撮影を進めたことなど、本作の製作に関する裏話を披露してくれた。ほかにタオ族(台湾の先住民族の一つ)の作家、シャマン・ラポガンの小説を大学時代に読んだことがきっかけで先住民族に関心を持つようになったことなども明かした。

『太陽の子』
台湾の先住民族・アミ族の女性、パナイは、花蓮・港口にある実家に娘と息子を残して、台北のテレビ局に勤務するジャーナリスト。子供たちの面倒は実家の父がみていたが、ある日、その父が病気で倒れてしまう。看病のために帰省したパナイは荒れ放題になった田を見て胸を痛める。さらに大型ホテル建設計画が持ち上がっていることも知る。雇用創出を期待する開発賛成派と伝統が失われることを案じる反対派。住民が二つに分かれるなか、パナイはもう一度、田を耕して、伝統の海稲米を作ろうと決意するが…。アミ族のシンガー、スミンが歌った主題歌「不要放棄(原題)」が、2016年金曲賞で楽曲賞を受賞したことも話題に。
監督・脚本/チェン・ヨウチェ、レカル・スミ 音楽/スミン 出演/アド・カリティン・パシダル、シュー・ジンツァイ、ウー・イェンズー、リン・ジャジュン、シュー・イーファンほか

チェン・ヨウチェ監督プロフィール
1977年台湾生まれ。学生時代に撮った16mm作品「BABYFACE」(00)と「シーディンの夏」(01)で監督デビュー。「シーディンの夏」は2001年台湾金馬奨最優秀短編作品賞を受賞。ほかに「一年之初」(06)、「ヤンヤン」(09)を監督。テレビドラマ「秋のコンチェルト」(09)、
「ショコラ」(14)に出演するなど、俳優としても活躍している。